2026年7月15日
うだるような暑さが続く日本の夏。熱中症対策として「こまめな水分補給」や「エアコンの適切な使用」が呼びかけられるのがすっかり定番となりました。しかし、この暑い時期に本当に注意しなければならないのは、熱中症だけではありません。実は、夏は「脳卒中(特に脳梗塞)」のリスクが跳ね上がる季節でもあるのです。
「ただの夏バテだと思っていたら、脳の血管が詰まっていた」
「熱中症だと思って寝かせていたら、脳出血を起こしていた」
このような恐ろしい事態を防ぐために、今回は脳神経外科医の視点から、暑い時期に知っておくべき脳神経疾患のメカニズム、熱中症との見分け方、そして命を守るための具体的な予防策について、詳しく解説します。
1. なぜ「暑い時期」に脳の病気が増えるのか?
「脳卒中といえば冬の病気」というイメージをお持ちの方が多いかもしれません。確かに、冬場は寒さによる血圧の急変動(ヒートショックなど)で脳出血やくも膜下出血が増える傾向があります。
しかし、厚生労働省の統計や多くの臨床データにおいて、「脳梗塞」の変発・発症数は6月から8月にかけての夏季にピークを迎えることが分かっています。これには、夏の環境ならではの3つの明確な理由があります。
① 脱水による「血液のドロドロ化」
夏場の脳梗塞を引き起こす最大の原因は「脱水」です。
人間は自覚がなくても、呼吸や皮膚からの蒸発(不感蒸泄)、そして発汗によって大量の水分を失っています。体内の水分が不足すると、血液中の水分(血漿)が減少し、血液の粘度が高くなります。いわゆる「血液がドロドロになった状態」です。
ドロドロになった血液は流れにくく、特に動脈硬化で細くなった脳の血管に血栓(血の塊)を作りやすくなり、最終的に血管を完全に詰まらせてしまうのです。
② 急激な発汗に伴う「血圧の低下」
大量に汗をかくと、水分だけでなく塩分(ナトリウムなど)も失われます。これにより全体の血液量が減少し、血圧が低下します。
普段、血圧が高いことを気にされている方にとっては「血圧が下がるのは良いことでは?」と思われるかもしれませんが、急激な血圧低下は危険です。脳の血管が狭くなっている人の場合、血圧が下がりすぎると脳へ血液を送り出す圧力が足りなくなり、脳の血流が途絶えて脳梗塞(特に関腔梗塞やアテローム血栓性脳梗塞)を発症しやすくなります。
③ 室内外の「激しい温度差」による自律神経の乱れ
猛暑の屋外から、エアコンがガンガンに効いた冷え切った室内へ移動する。このとき、体は急激な温度変化に対応しようと、血管を収縮させたり拡張させたりを繰り返します。
この急激な変化は自律神経に大きな負荷を与え、血圧の乱高下を招きます。この血圧の変動が、脳の血管にかかるストレスとなり、脳卒中の引き金になることがあるのです。
2. 夏に特に注意すべき3つの脳神経疾患
暑い時期に警戒すべき具体的な脳神経疾患について解説します。
① 脳梗塞(のうこうそく)
夏に最も多い脳卒中です。脳の血管が詰まって酸素や栄養が届かなくなり、脳の細胞が死滅してしまう病気です。
夏に多い脳梗塞のタイプには、動脈硬化で狭くなった太い血管に血栓ができる「アテローム血栓性脳梗塞」や、小さな血管が詰まる「ラクナ梗塞」があります。また、高齢者に多い「心原性脳塞栓症」(心房細動などの不整脈が原因で心臓にできた血栓が脳に飛ぶ病気)も、脱水によって血栓が形成されやすくなるため、夏場は特に注意が必要です。
② 脳出血(のうしゅっけつ)
高血圧などが原因で、脳の細い血管が破れて脳の組織内に出血する病気です。夏場は前述の「室内外の温度差」による血圧の急上昇や、脱水によるストレスが原因で発症することがあります。突然の激しい頭痛や片麻痺、意識障害が特徴です。
③ 一過性脳虚血発作(TIA)
「脳梗塞の前触れ」と呼ばれる非常に重要な状態です。脳の血管が一時的に詰まりかけるものの、数分から24時間以内(多くは1時間以内)に自然に血流が再開し、症状が完全に消えてしまう現象です。
「手がしびれたけれど、少し休んだら治ったから大丈夫」と放置してしまう人が非常に多いのですが、TIAを起こした人の数%〜十数%が、数日以内に本格的な脳梗塞を発症すると言われています。夏場に少しでもおかしい症状が出たら、すぐに医療機関を受診しなければなりません。
3. 重要!「熱中症」と「脳卒中」の決定的な見分け方
夏の医療現場や救急搬送の現場で最も頭を悩ませるのが、「熱中症」と「脳卒中」の初期症状が酷似しているという点です。どちらも「頭痛」「めまい」「吐き気」「意識がぼーっとする」といった症状が現れるため、周囲の人が見誤って対応を遅らせてしまうリスクがあります。
しかし、この2つには治療の緊急度とアプローチが全く異なります。以下のポイントをしっかり押さえておきましょう。
症状の現れ方
熱中症は、全身の脱水や体温調節機能の破綻によって起こるため、症状は基本的に「全身性」「左右対称」に現れます。 一方、脳卒中は、脳の右半分または左半分のどちらかの血管にトラブルが起きるため、症状が「片側性(体の半分だけ)」に現れるのが最大のプロファイルです。
「右手だけがうまく動かせず、持っていた箸を落とした」
「左側の口角が下がって、水が口からこぼれる」
「言葉のろれつが回らない」
これらの症状が一つでも見られた場合は、どれだけ暑い場所にいたとしても、熱中症ではなく「脳卒中」を強く疑う必要があります。
4. 脳卒中を疑ったときの緊急行動サイン「FAST」
脳卒中は「Time is Brain(時間は脳)」と言われるほど、1分1秒の遅れが予後(後遺症の程度や生命の危険)を左右する一分一秒を争う病気です。世界的に推奨されている脳卒中の初期チェックコンセプトラベル「FAST(ファスト)」を覚えておきましょう。
F:Face(顔の麻痺)
「いー」と口を開けて笑ってもらいます。片方の口角が下がったり、左右非対称になっていませんか?
A:Arm(腕の麻痺)
目を閉じて、両腕を地面と水平に前に突き出してもらいます。片方の腕がだらりと下がってきませんか?
S:Speech(言葉の障害)
簡単な短い文章(例:「本日は晴天です」など)を言ってもらいます。ろれつが回らなかったり、言葉がつっかえたり、おかしな言葉を使ったりしていませんか?
T:Time(発症時刻と受診)
これらの症状が「一つでも」あれば、すぐに時間を脳裏に刻み、迷わず救急車(119番)を呼んでください。「様子を見よう」と一晩寝かせるのは絶対にNGです。
5. 【年代別・リスク別】夏に脳神経疾患を起こしやすい人
どのような人が、夏の脳神経疾患(特に脳梗塞)のリスクが高いのでしょうか。ご自身やご家族が該当しないか確認してください。
① 高齢者(65歳以上の方)
高齢の方は、若年層に比べて「のどの渇き」を感じるセンサー(口渇中枢)の機能が低下しています。そのため、体が深刻な脱水状態に陥っていても自覚症状がなく、水分補給が遅れがちになります。また、体内の水分貯蔵庫である「筋肉量」が減少しているため、もともと脱水になりやすい体質です。
② 生活習慣病をお持ちの方(高血圧・糖尿病・脂質異常症)
これらの持病がある方は、すでに血管の動脈硬化が進んでいる可能性が高いです。健康な人に比べて血管が細く、しなやかさを失っているため、夏場のわずかな脱水や血液のドロドロ化によって、一気に血管が詰まりやすくなります。
③ 心臓の持病(特に心房細動などの不整脈)がある方
心房細動という不整脈があると、心臓の中で血液が淀み、血栓が作られやすくなります。夏場に脱水が加わると、その血栓がさらに大きく、剥がれやすくなり、脳の太い血管へ飛んでいって突然大発症を引き起こします(心原性脳塞栓症)。これは脳梗塞の中でも最も重症化しやすいタイプです。
④ 夜間や睡眠中の管理が疎かになりがちな方
実は、夏の脳梗塞が最も多く発症する時間帯の一つが「夜間から明け方(睡眠中)」です。人間は寝ている間にコップ1杯〜2杯分(約200〜500ml)の汗をかきます。エアコンをつけずに室温が高いまま寝たり、就寝前の水分補給を怠ったりすると、夜中に急激な脱水が進み、朝起きた時に手足が動かないという事態を招きます。
6. 日常でできる!夏の脳神経疾患・徹底予防策
夏の脳卒中や熱中症から身を守るためには、日頃のちょっとした意識と生活習慣の改善が不可欠です。今日から実践できる具体的な予防アクションをご紹介します。
① 正しい水分補給のルールを身につける
「のどが渇く前に飲む」が鉄則ですが、具体的には以下のポイントを意識してください。
こまめな回数で飲む: 一度に大量の水を飲んでも、体は吸収しきれずに尿として排出されてしまいます。1回につきコップ1杯(150〜200ml)程度を、1日に7〜8回に分けて飲むのが理想です。
タイミングを決める: 「起床時」「入浴の前後」「就寝前」「外出の前後」は、特に脱水しやすいタイミングです。のどが渇いていなくても必ず水分を摂る習慣をつけましょう。
飲み物の種類を選ぶ: 麦茶や水が基本です。大量に汗をかいたときは、適度な塩分が含まれたスポーツドリンクや経口補水液が適しています。
※注意: ビールなどのアルコールや、コーヒー・緑茶などのカフェインが多く含まれる飲料には強い利尿作用があります。飲んだ量以上の水分が尿として体外に出ていってしまうため、「水分の代わり」には絶対になりません。 お酒やコーヒーを飲んだ後は、それと同量以上の水を別途補給してください。
② エアコンを賢く使い、室温を一定に保つ
高齢の方を中心に「エアコンの風が苦手」「電気代がもったいない」と使用をためらう声を聞きますが、夏の室内でのエアコン不使用は命に関わります。
室温26℃〜28℃を目安に設定: 設定温度ではなく「実際の室温」が28℃を超えないように調整してください。
夜間も朝までつけっぱなしに: タイマーが切れた後に室温が急上昇し、睡眠中に熱中症や脳梗塞を起こすケースが多発しています。夜間も快適な温度で朝まで稼働させることをお勧めします。
③ 夏場の「入浴」と「排便」に注意する
夏でも湯船に浸かる方は多いと思いますが、長湯による大量の発汗は急激な脱水を招きます。入浴前後の水分補給を徹底し、ぬるめのお湯に短時間で浸かるようにしましょう。
また、脱水によって便が硬くなると、トイレで強く力む(いきむ)ことになります。この「いきみ」は血圧を急激に上昇させ、脳出血やくも膜下出血の引き金になるため、夏の便秘対策も非常に重要です。
④ 夏の健康診断・定期受診を欠かさない
夏は血圧が下がりやすいため、「薬を飲まなくても調子が良い」と自己判断で高血圧や糖尿病の薬を中断してしまう方がいらっしゃいますが、これは極めて危険です。自己判断での服薬中断は絶対に行わず、必ず主治医の診断のもとで正しくコントロールしてください。
また、クリニックでの定期的な血液検査や、必要に応じた頭部MRI・MRA検査(脳ドックなど)を行うことで、事前に「血管の狭窄(狭まり)」や「隠れ脳梗塞」を発見し、未然に発症を防ぐことができます。
7. まとめ:異変を感じたら、迷わず当院へご相談ください
暑い季節の体調不良は、単なる「夏バテ」や「暑さのせい」で片付けられがちです。しかし、その裏には脳の血管の深刻なSOSが隠れているかもしれません。
脳神経疾患は、「早期発見・早期治療」が何よりも重要です。もしご自身やご家族に、以下のような「いつもと違う」異変が少しでも現れたら、決して様子を見ずに、すぐに当院へご連絡いただくか、症状が重篤な場合は救急車を呼んでください。
片方の手足に力が入らない、しびれる
言葉がうまく出ない、ろれつが回らない
相手の言うことが理解できない
経験したことのないような激しい頭痛がする
めまいがして真っ直ぐ歩けない、視野が半分欠ける
当院では、専門医による的確な診断と、最新の検査機器を用いた迅速な対応を行っています。また、普段からの動脈硬化予防や生活習慣病の管理、脳卒中リスクの評価も随時行っております。
この夏を健やかに、安心して乗り切るために、気になる症状や不安なことがありましたら、どうぞお気軽に当院の専門外来を受診してください。皆様の健やかな毎日を全力でサポートいたします。
