2026年5月27日
「年のせい」とあきらめないで。治療で改善する「治る認知症」とは?
「最近、うちのおじいちゃん、急に物忘れがひどくなったな……」 「何度も同じことを聞くし、歩くときも足が上がらなくなってきた。これも年のせいかしら」
ご家族にこのような変化が見られたとき、「いよいよ認知症(アルツハイマー病など)が始まってしまったのかもしれない」「高齢だから仕方がない」と、あきらめに似た気持ちを抱いてしまう方は少なくありません。
しかし、ちょっと待ってください。 実は、認知症のような症状を引き起こす病気の中には、「脳の手術や適切な治療を行うことで、症状が劇的に改善する病気」が存在します。医療の世界では、これらを通常の認知症と区別して「治療可能な認知症(Treatable Dementia)」、あるいは親しみを込めて「治る認知症」と呼ぶことがあります。
今回は、その代表格である「正常圧水頭症(せいじょうあつすいとうしょう)」と「慢性硬膜下血腫(まんせいこうまくかけっしゅ)」という2つの病気を中心に、その特徴や見分け方、治療法について分かりやすく解説します。
そもそも「認知症」とは何だろう?
本題に入る前に、「認知症」という言葉の正確な意味を整理しておきましょう。 認知症とは、特定の病名ではなく、「脳の細胞がダメージを受けたことにより、記憶力や判断力が低下し、日常生活に支障が出ている状態」という症状の集まり(状態)を指します。
その原因となる病気で最も多いのが、脳に特殊なたんぱく質が溜まって脳細胞が少しずつ萎縮していく「アルツハイマー型認知症」です。また、脳梗塞や脳出血によって起こる「血管性認知症」なども有名です。これらは残念ながら、現代の医療では根本的に病気そのものを治したり、萎縮した脳を元に戻したりすることは困難です(進行を遅らせるお薬が中心となります)。
しかし、今回ご紹介する病気は、原因が「脳細胞の自然な衰え」ではありません。「脳に水や血が溜まって、正常な脳を外側から圧迫している状態」が原因です。 つまり、圧迫している原因(水や血)をきれいに取り除いてあげれば、脳は本来の元気な働きを取り戻すことができるのです。
代表格1:水が脳を圧迫する「特発性正常圧水頭症(iNPH)」
まず最初にご紹介するのが、「特発性正常圧水頭症(とくはつせい せいじょうあつ すいとうしょう:iNPH)」です。
私たちの脳と脊髄の周りには、「髄液(ずいえき)」という無色透明な液体が常に循環しています。この液体は、脳を外からの衝撃から守るクッションのような役割を果たしており、毎日新しく作られては古いものが吸収される、というサイクルを繰り返しています。
ところが、高齢になると、この髄液の吸収能力が落ちてしまうことがあります。すると、行き場を失った髄液が脳の隙間(脳室)にどんどん溜まっていき、風船のように膨らんで周囲の脳を内側から圧迫してしまうのです。これが正常圧水頭症のメカニズムです。
正常圧水頭症の「3大症状」
この病気には、見分けるための非常に分かりやすい「3つのサイン」があります。
1. 歩行障害(一番最初に出やすく、最も目立つ症状)
足が地面に吸い付いたようになって、一歩目がなかなか出ない(すくみ足)。
歩幅が狭くなり、足を横に広げてペンギンのようにヨロヨロと歩く。
方向転換するときにバランスを崩して転びそうになる。
2. 認知機能の低下(物忘れなど)
アルツハイマー病のように「完全に忘れる」というよりは、考えるスピードが極端に遅くなったり、自発性がなくなってボーッとしたりすることが増えます。
呼びかけに対する反応が鈍くなるのも特徴です。
3. 尿失禁(トイレのトラブル)
トイレに行きたいと思ってから我慢できずに漏らしてしまう(尿意切迫感)。
トイレに行く回数が極端に増える。
【見分けのポイント】 アルツハイマー病は「物忘れ」から始まることが多いのに対し、正常圧水頭症は**「まず歩き方がおかしくなる」**ことから始まるケースが圧倒的に多いです。「最近、急に歩き方がトボトボしてきたな」と感じたら、この病気を疑う大切なサインになります。
代表格2:古い血の塊が脳を圧迫する「慢性硬膜下血腫」
もう一つの代表的な病気が、「慢性硬膜下血腫(まんせい こうまくか けっしゅ)」です。
これは、頭を強く打ったことなどが原因で、脳を包んでいる一番外側の固い膜(硬膜)と脳の隙間に、じわじわと古い血液が溜まってチョコレート状の血の塊(血腫)ができてしまう病気です。
「頭を強く打った覚えなんてないけれど……」と思われるかもしれません。ここがこの病気の非常に厄介なところで、原因となる打撲は「1〜2ヶ月前の、本人が忘れてしまうほどの軽い衝撃」であることがほとんどです。 例えば、「鴨居(かもい)に頭をコツンとぶつけた」「転びそうになって、壁に軽く頭を当てた」といった程度のことでも、高齢者の場合は脳がわずかに萎縮して隙間ができているため、そこからじわじわと出血してしまうのです。
数週間から数ヶ月かけて血の塊が大きくなり、限界を迎えると脳を外側から強く圧迫し始め、症状が現れます。
慢性硬膜下血腫のサイン
急激に進行する認知症のような症状
つい数日前、数週間前まではしっかりしていたのに、急に辻褄の合わないことを言い始めたり、物忘れがひどくなったりします。
片方の手足の麻痺やしびれ
血の塊が脳の運動神経を圧迫するため、「お箸をよく落とす」「片方の足を引きずるようにして歩く」といった症状が出ます。
頭痛や頭の重い感じ
頭の中の圧力が高まるため、頭痛を訴えたり、元気がなくなって寝てばかりいるようになります。
【見分けのポイント】 最大の特徴は**「ここ1〜2ヶ月の間で、急激に症状が進んだ」**というスピード感です。アルツハイマー病などは年単位でゆっくり進行しますが、慢性硬膜下血腫は数週間単位で目に見えて様子がおかしくなります。
どのようにして治療するのか?(外科手術について)
「脳の手術」と聞くと、非常に恐ろしいものに感じられるかもしれません。「高齢の親にそんな負担の大きい手術を受けさせて大丈夫だろうか……」と不安になるのは当然のことです。
しかし、これらの病気に対する手術は、脳そのものを深く傷つけるようなものではなく、脳外科手術の中では比較的安全性が高く、体への負担も少ない(低侵襲な)ものとして確立されています。
1. 正常圧水頭症の治療:「シャント手術」
溜まってしまった過剰な髄液を、細いチューブを使ってお腹(腹腔)などに流す通り道を作ってあげる手術です。 現在主流となっている「LPシャント術」という方法では、頭を一切傷つけることなく、腰の骨の隙間からお腹へとチューブを通すため、手術時間も短く、患者さんの体への負担が非常に少ないのが特徴です。
2. 慢性硬膜下血腫の治療:「穿頭血腫洗浄術(せんとうけっしゅせんじょうじゅつ)」
頭皮を数センチだけ切り、頭蓋骨に小さな穴(直径1センチほど)を開けて、そこから細いチューブを入れて溜まった古い血液を洗い流し、外に吸い出す手術です。 多くの場合、局所麻酔で行うことができ、手術時間も30分〜1時間程度と短時間で終わります。
手術後の変化
どちらの手術も、成功すると驚くほどの効果を発揮します。 昨日まで車椅子で介護が必要だった方が、手術の翌日には自分の足でしっかり歩いてトイレに行けるようになったり、呆然としていた表情がガラリと変わり、昔のように笑顔で冗談を言えるようになったりするケースが珍しくありません。ご家族からも「まるで狐につままれたようだ」「魔法のようだ」と喜ばれることが多い、医療従事者にとっても非常にやりがいのある治療です。
早期発見のために、ご家族ができること
これら2つの病気に共通して最も重要なことは、「一刻も早く発見して、適切な診療科を受診すること」です。
なぜなら、いくら「治る」とはいえ、脳が長い期間強い圧迫を受け続けてしまうと、脳の神経細胞そのものがダメージを受けて死んでしまい、せっかく後から手術をしても症状が十分に元に戻らなくなってしまうリスクがあるからです。
ご家族の様子に違和感を覚えたら、以下のポイントをチェックしてみてください。
「歩き方」の変化に注目する(特に足が上がっているか、歩幅が狭くなっていないか)
数週間〜数ヶ月の間に、急に様子がおかしくなっていないか
ここ数ヶ月の間に、頭を軽くでもぶつけた記憶はないか
もしこれらの点に思い当たることがあれば、ただの認知症や老化現象と決めつけず、まずは一度、「脳神経外科」や「もの忘れ外来」を受診し、CTやMRIの検査を受けてください。画像検査を行えば、脳に水や血が溜まっているかどうかは一目で判別がつきます。
まとめ:希望を捨てずに、まずは専門医へご相談ください
「認知症かもしれない」と思ったとき、ご本人もご家族も、これからの生活への不安で胸がいっぱいになり、病院へ行くのを躊躇してしまうことがあるかもしれません。
しかし今回お話ししたように、一見すると認知症に見える症状の中には、原因を見つけて正しく治療すれば、以前の生き生きとした暮らしを取り戻せる病気が確実に隠れています。
「年齢のせいだから」「どうせ受診しても治らないから」とあきらめてしまう前に、ぜひ当院、またはお近くの専門医にご相談ください。私たちは、患者さまとご家族がこれからの人生を笑顔で、自分らしく過ごしていけるよう、全力でサポートいたします。小さな変化、ささいな不安でも構いません。どうぞお気軽にお声がけください。
